フランスの片隅から

フランスで暮らす日本人の徒然日記

フランスで猫を飼う

長年ぼんやりといつか動物を飼いたいと思いながら生きてきて、それはやはり猫であればいいなという気持ちで近年は過ごしてきました。

それがフランスに引越して一年ほど経った頃、ふとしたきっかけで実際に飼うことに。さて、フランスで猫を飼うにはどのようなプロセスが必要なのでしょうか。私自身具体的には考えたことがなかったので、イチから調べつつ我が家の猫さんをお迎えしました。

f:id:minamifrance:20240523002710j:image完全に我が家に慣れてゆうゆう昼寝する猫さん

まず自宅へ迎え入れる猫をどこで見つけるか。フランスにはペットショップがほぼ無いこと、そして2024年からは店頭での犬猫販売が法律で禁止されているためそれ以外の方法を取る必要があります。たまたま道端で迷子の子猫に遭遇することがあるかもしれません。しばらく観察して周囲に親猫や飼い主らしき人が居なければ、それはもう運命でしょう。

また自治体の保護施設から引き取ることもできますが、殆どが成猫です。このような施設でも稀に子猫を迎え入れることがあるものの非常に人気でなかなか倍率が高いそう。成猫でもOKな方には勿論お勧めしますが、警戒心が強く環境が変わるとストレスを受けやすい猫は出来れば生後6ヶ月までに主な飼い主や定まった住居に慣れさせる必要があるということなので、初心者さんにはちょっとハードルが高いかもしれません(我が家は100%初心者でした)。そして多くの人が利用しているのがインターネットのフリマサイト(日本で言うメルカリやラクマ)。フランスではLeboncoinが一番有名ですが、やはりこちらも子猫は大変人気であっという間に貰われていくので、お迎えを検討している方はサイト上で見つけ次第すぐに出品者に連絡を取る必要があります。基本的には無料譲渡ですが、有償取引を提示される場合もあるので条件をよく確認しましょう。我が家の猫はこのLeboncoinに掲載された約20分後にたまたま夫が見つけ、即連絡を取って譲り受けることができました。出品者さんの話によると、3匹の子猫を同時に掲載して2〜3時間のうちに全ての譲渡先が決まったそうです。なお、上記に加えてブリーダーから直接購入する方法もあります。

元々猫を受け入れることを決めていた我が家では大きめゲージと猫用ベッド、トイレと外出用バスケットをアイリスオーヤマフランスで購入しており、環境を整えている状態でした。元の飼い主さんが暮らす南仏の田舎まで1時間強車を走らせ、初対面の後子猫さんをバスケットに入れて帰宅。生まれて初めて車に乗った猫さん、帰路が長過ぎたのか最後の数十分は車酔いで目が回っていたようでかわいそうでした。

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さて、無事にお迎えが済んだら獣医へ連れて行って健康診断とワクチン接種をします。元の飼い主さんからは「とっても清潔で健康よ!」と言われていたものの、ノミが複数ついていたのと耳ダニに感染していました。(迎え入れた当日にお風呂に入れたら、タライの湯船にノミ達がプカプカ浮いてきました。)そして回虫にも感染していることがわかりました。黒いフケのような皮膚症状が出る耳ダニはちょっと厄介で、毎日体を拭いてあげるのと数ヶ月間薬を与えて撲滅しました。回虫は当初、街中の薬局で購入した薬を半年ほど(ひと月に一回)投与していたものの治らず、獣医に診てもらい処方された薬で駆除しました。動物病院は大きく分けて個人病院と大学の獣医学部付属クリニックのどちらかになると思います。大学は学生さんの研修や研究活動を兼ねているのと、基本国立なので診療費が個人病院よりも安いです。

動物病院では日本のように血液検査もやってもらえると思っていましたが、体重や目に見える病気などの簡単な健康診断とワクチン2回(当日と後日改めて)のみでした。血液検査は特別にお願いしないとやってもらえないようです。

それから、去勢とマイクロチップの挿入があります。これらは強制では無いですが、雄猫は発情期になるとかなり厄介だと聞きますし、我が家のような雌猫もそれなりに暴れることに加えて妊娠のリスクもあるので行なった方が良いと思います。マイクロチップは迷子猫になってしまった時に見つけやすくなることと、海外に連れて行く時に必須条件になるため予定がある方は予め入れておいた方が良さそうです。

長くなりましたが、フランスで猫をお迎えするのに必要な流れを紹介しました。

フランスの言語とは何か

フランスという国でフランス語が話されていることは皆さんよくご存知でしょう。しかしこのフランス語、自然と人々に広まった言語ではありません。元々フランス人というのは国内の各地域ごとに多種多様な言語を話していたところを政府によってフランス語の使用が全国民に強制された結果、現在の共通語となるに至ったのです。それも太古の話ではなく、一般市民に強制され始めたのは18世紀終盤に起こったフランス革命(1789年)以降ですから、今からほんの二百数十年前です。

言葉としての変遷はあるにしろその千年前、8世紀の平安時代に遡っても日本で広く使われていた言葉が日本語であると知っている日本人からすると、一体それはどういうことかと思うかもしれません。さらに言うと、フランス革命直後の1790年にグレゴワール師 (Henri Grégoire,1750-1831) という人が言語に関する全国調査をしたのですが、この時点でフランス語を話すフランス人は10人に1人で、4人に1人はフランス語が何なのか知らなかったことがわかっています。つまり、その当時は9割のフランス人がてんでバラバラな「母語」を話していたわけです。それはラテン語でも英語でもドイツ語でもスペイン語でもありません。「地域言語(langue régionale)」と呼ばれるものです。

この地域言語、フランス政府の言語政策により迫害を受けながらもなんとか生きながらえ、現在でも約75種類の言葉がフランス各地域で使われています。

f:id:minamifrance:20240522233412j:imagewww.franceculture.frより

バスク語ブルトン語、オクシタン語、カタラン語、コルシカ語あたりは聞いたことがある方もいるかも知れませんね。

【フランスにおける言語政策の主な流れ】

813年: トゥール公会議において司祭が現地語(地域言語)で説教することが奨励される

842年:現存最古のフランス語文書であるストラスブールの誓約が作成される

12世紀末、パリ方言が標準とされ、14-16世紀にはフランス語が公式文書で使用される

1539年:ヴィレル=コトレの勅令によりフランス語が公式言語と認められる

1789年:フランス革命でフランス語が国家の言語であると宣言される

1881年、1882年:フェリー法により初等教育が無償・義務・世俗化され、一般にフランス語教育が普及する

1951年:ディクソンヌ法により地域言語の学校教育内での学習が認められる

20世紀中盤の言語政策転換によりフランスではバイリンガル教育が許可され、現在では小学校から高校まで(地域によっては幼稚園から)、各地の地域言語が学校教育の中で教えられています。地域言語が主言語で、加えてフランス語も教えられているなんていう学校もあるようです。フランスの地域言語が貴重な文化遺産であることはUNESCOによっても認められおり、各地では行政をはじめ民間も含む様々な機関で地域言語の普及活動が行われています。

とは言っても、フランスにおいてフランス語が共通語としてあらゆる場面で最も重要な言語であり続けるのは、今も今後も変わらないでしょう。

ステレオタイプの人種差別とは-Petit nègre(小さな黒人)とRedskin(赤い肌)-

差別が法律で禁止されており罰則もあるフランス。フランスの国立大学の言語学部に通って授業を受けるなかで、「差別」をテーマにした講義を複数受講しました。それぞれ講義名はフランス文化やフランス文学、民俗学といったところなので特に自ら率先して「差別」を学ぶために受講したわけではありません。つまり社会や文化の中で差別が深刻に受け取られ、根深い社会問題として、そして過去の過ちを再度犯さないために、当然のように教育の現場で取り上げらている結果です。この密接感が日本にはなかったな、と思います。

このような環境で得た見識の一つが、Petit nègre(小さな黒人)。Wikipediaではフランス語ページしかなかったので、日本人で知っている人はあまり多くないのかもしれません。ただしフランスでは有名な事例で、私の夫(ごく一般人)に尋ねてもすぐさまその言葉は差別の文脈のものと回答してくれました。

Petit nègre

白い歯を見せて笑う黒人が美味しそうに甘いものを食べている商品パッケージ。彼は「y'a bon」と言っていますが、これは正しいフランス語ではありません。フランス語では「C'est bon」、日本語では「おいしいね」といったニュアンスです。

フランスが過去に行ってきたアフリカでの植民地政策のなかで黒人が元々話していた彼らの母語は低俗とされ、言語政策によりフランス語が教えられました。しかし同時に彼ら黒人が話すフランス語は「複雑な言語を自然かつ合理的に単純化したもの」であり、それを話す黒人は下等の人間であるとも見なされました。それがPetit nègre、プチネーグルです。
この文脈における上記の商品パッケージ。幼稚な表情でステレオタイプ化された黒人がPetit nègreを話すイラストは、白人によって作り上げられた黒人の単一化されたイメージです。黒人と言っても実際にはたくさんのルーツがあり、母語も文化も表情だってさまざまです。当然、彼らは幼稚でさえありません。これがBANANIAというココア飲料のパッケージに使用され、のちに黒人差別を象徴するイメージだと批判され変更されました。

ここで出てきた「ステレオタイプ」という言葉、日本人のなかで人種差別とすぐに結びつく人がどれだけいるでしょうか?よくよく考えてみたら、例えば第二次世界大戦中から戦後にかけて頻繁に表現されたアメリカ人の日本人に対するイメージ(出っ歯のサル顔)などは非常に差別的です。このイメージは戦時中のアメリカで、敵対国日本に対する憎しみを煽るプロバガンダとして利用されました。
現代においても、実際の日本人の顔つきや表情の多様性を無視して一律に吊目に描かれたキャラクターはまだまだ見かけますが、正直不快ですよね。これがステレオタイプの差別です。


日本人にあまり馴染みのない差別としてもう一つ挙げられるのはネイティブアメリカンを指す侮辱的な言葉、Redskin(赤い肌)です。長い歴史のなかで根深い人種差別を重ねてきたアメリカにおいて、先住民族を指してRedskinと言ったり赤い肌でイラストを制作したりすることは現代では差別的だと捉えられています。一方で赤い肌のネイティブアメリカンをモチーフにしてきたアメリカのスポーツチームは複数ありますが、NFLレッドスキンズMLBインディアンスは長年の批判を受けてチーム名やロゴを変更するに至りました。(インディアンという名称も差別にあたるため使用するべきではないとされています)

www.afpbb.com

www.bbc.com

加えて、フランス及びアフリカにおけるPetit nègre(小さな黒人)と同様に、アメリ先住民族が使っていた言葉にもステレオタイプ的差別があります。それが「ハオ(How)」です。もともとはヨーロッパから来た入植者が使う英語のHowを挨拶だと誤って認識した先住民族が使い始めたとも言われていますが、20世紀初頭の映画やテレビ番組ではネイティブアメリカンが「ハオ」と挨拶する場面が表現の手段として頻繁に描かれました。これらのメディアはネイティブアメリカンの多様な文化や言語を理解しない視聴者に対して、誤ったステレオタイプを植え付けるという結果を招きました。
現在、多くのネイティブアメリカンのコミュニティや権利擁護団体が自分たちの文化や歴史が正確に理解され尊重されることを求めるなかで、ステレオタイプな表現が過去の人種差別や文化の抑圧を思い起こさせるものであり、そのような表現を避けるよう訴えています。

日本で暮らしているとなかなか身近には感じ難い、世界の人種差別。言葉やイメージのステレオタイプ自体が差別と見做されるのは、その裏に長きにわたる深刻な人種差別の歴史があることもよく理解しておきたいです。

フランス在住3年目に思うこと(初投稿)

コロナ渦にフランスへ引っ越してきて、フランス人夫と猫一匹とともに平穏に暮らしている。日本での暮らしや仕事をしている期間も長かったのでそれほどフランスに影響されているわけではないと思いつつも、やはり多少なりとも考え方に影響を受けているようです。

フランスに来てから移住者必修の市民講座を受けたり、自らの意思で大学に通ったりもしているので、当然のことながら元より見識は広がっているはずで、それによってモノの見方も少しずつ影響を受けるのは当然ではありますね。
これまではほぼ自分の中だけで留めていたことを、ここで書き記していく予定です。